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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

アモイ旅情4


 
「アモイ市内の旅1」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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夕方5時の便に乗るため武夷山の
ホテルを3時過ぎに出て空港へ行った。

フライト時間は40分程でアモイ空港へ
着き、ホテルへ帰って来たのが
6時近くになっていた。

ホテルに荷物だけ置いてタクシーで
海滄大橋の夜景を撮影に出向いた。

予定を組んでいたのは、明日は一人で
海滄大橋を見て回りたいと思っていた。

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海滄大橋を撮影するために別荘の
レストランゲートを通らなければならず
ガードマンに許可を得るため苦労した。

ねばり勝ちで何とか中へ入れた。
レストランは終わりに近づき従業員が
忙しそうに動き回っていた。

レストラン私有地の道路から5mほどの
高台に登り、そこより撮影した。

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「アモイ市内の旅2」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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海滄大橋は、アモイ島と海滄とを
繋げた都市橋梁の機能を兼ねている。

海滄大橋はアジア第一で世界第二位。
アモイ島を出る第二の通路として、
直接海滄の台湾系企業投資区に通じている。

海滄大橋は全長約6キロで主橋が3キロ。
車で走ると6分ほどで通り過ぎてしまう。

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海滄大橋の文字は、胡錦濤主席の前の
江沢民が書いた筆字である。

夜も8時近くにもなると冷え込んで
羽毛ジャケットを着ていても
寒さを感じるほどだった。

ホテルへはバスで帰ろうとバス停までの
500mほどの道を歩いた。

寒い夜空の下では人通りも少なかった。
バスでアモイ繁華街まで行き飲み屋で
紹興酒を飲み体を温めてより帰った。

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「アモイ市内の旅3」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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アモイで宿泊しているホテルから
歩いて3分足らずのところに
夜遅くまで開いている飲み屋があった。

その飲み屋のご主人が作った地酒を
飲みながら食事をしてホテルへ帰った。

深夜0時過ぎに床に就き朝7時に起床。
ホテルのレストランで軽く朝食を取った後
昨夜訪れた海滄大橋まで再度行くため
バス停まで徒歩で向かった。

ホテルの向かい側へ行くために陸橋を
渡ったが、写真はカルフール前の
陸橋の上からホテル方向を撮影した。

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朝早いと道路も空いているが、アモイに
限らず中国の交通事情も車が多くなり
渋滞がひどくなって来るばかりである。

中国各都市の人口も段々多くなり、
バスは昼間でも混雑しているが
特に朝9時頃など身動きが取れない。

混雑したバスの中でもスリが財布や
携帯電話を狙っているので盗られ
易い所には入れないようにしたいものだ。

中国人の友人も少なからずスリに遭遇しており
注意が必要だが、私も3回スリに遭遇している。

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「アモイ市内の旅4」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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中国の朝のパワーを感じる事柄の一つは
朝6時半頃から始まる出店の食事だ。

朝7時から10時ごろに出店が並ぶ。
また、その出店に行くユーザーも多い。

私は肉マントウを2つ買い袋に入れたまま
バス停まで歩いて行った。

その歩く道すがら肉マンを食べるのが
また楽しく美味しいものであるし人の目を
気にして歩いていても気恥ずかしさはなかった。

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その一角には30mほどのスペースに屋台が
並んで美味しそうな香りが立ち込めていた。

急ぎ足で先を急いでいる人も、その前を通ると
その足が緩やかになったり立ち止まる人もいた。

私も同じように立ち止まり、その場の雰囲気を
満喫して、つい食べ物を買ってしまっていた。

日本でも学生が好きなヌードルが売られていたが
中国人が多く群がっているのが、写真のヌードルは
インスタントではないが、唐辛子が沢山入っていて
薄味好きの私にはとても食べれそうにはない。

この一角を過ぎると海滄大橋行きバス停である。

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「アモイ市内の旅5」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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アモイで宿泊するホテル近くのバス停から
海滄大橋行き直通バスを探したがなかった。

バス停で待っている人に聞いてみたところ
途中でバスを乗り換えて下さいと言われメモした。

メモしたバス停で降り言われた路線番号の
バスに乗ったが、何となく様子がおかしいので
前まで歩いて運転手に聞いてみた。

何処から乗車し何処へ行きたいのかと聞かれた。
運転手は反対方向のバスに乗ったねと笑い出した。

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バスを降り陸橋を渡り反対車線でバスを待った。
バスに乗った後、すぐに海滄大橋までどれ程
掛かるか聞いた所、バス行程表を見てと言われた。

バスの窓の上に貼ってあるバス行程表を目で追い
海滄大橋バス停を見つけたが、心配になり
ノートに海滄大橋までの5つの停留所の
名前を書き出し座席に座ろうとした。

だが私がバス停の名前を書き写している間に
空き座席がなくなってしまい吊り革を握り苦笑した。

写真は、海滄大橋の日中の画像であるが曇り空だった。

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「アモイ市内の旅6」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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海滄大橋の撮影を終えたのち
海滄大橋の建設工事過程に使われた
鋼材やワイヤーや中国内の橋建設の
歴史などを説明した橋梁博物館へ入った。

橋梁博物館の中に入ると人影はなく
女性スタッフが一人で出迎えてくれた。

私が入った時に博物館の照明が
消されていたがスタッフが着いて来て
照明のスイッチを指差した。

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各コーナーにスイッチがありますから
これを押して下さいと照明を付けてくれた。

曇り空で窓も少なく光が入らず館内は
薄暗かったがコーナー毎に点く照明で華やいだ。

写真は江沢民の筆字による海滄大橋と
厦門大橋を額に入れてあったものを撮影。

厦門大橋とはアモイ大橋のことで
アモイ大橋は海滄大橋のことを指している。

海滄大橋の建設は1996年に着工し
4年後の2000年に完成している。

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海滄大橋は橋脚を利用した吊り橋である。
また橋梁博物館は中国で唯一の橋梁を
テーマにしている博物館である。

2002年に橋梁博物館が出来た当時は、
近隣から多くの人が訪れていたようだが、
最近では学校の遠足で賑わうほどで
平日は閑散としていて残念と話していた。

写真は黒縁メガネを掛けた江沢民が
建設工事の説明を受けている写真を撮影した。

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「アモイ市内の旅7」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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橋梁博物館には、海滄大橋建設の設計を
紹介する模型があり、また百年間の
橋梁建築に関する資料コーナーもある。

海滄大橋の高さは橋の下を船が
通るようになっているので、かなり高い。

海滄大橋は、中国独自の技術だけで
建設されたのではなく、日本からの
無償技術協力のもと出来上がった。

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船が通り抜けるゲートの部分の強度は
たとえ船が衝突したとしても問題ない。
また、震度7級の地震にも耐えれる。

その上、空港が近くにあるのでゲートを
開けた時のゲート端が飛行機と
接触しないほどの高さに設計してある。

尚且つ、最大級の船が通れるくらいの
ゲートの高さの設計で協議を重ねた。

また、飛行機がゲート上を通り過ぎる時の
風圧を考慮し風洞試験で橋の揺れを実験。

実際の工事会議に使われたノートが
展示されており読める人には興味深い。

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「アモイ市内の旅8」

「中国写真ライフ」では、
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アモイ島と海滄区とを結ぶ海滄大橋。
第8次5ヵ年計画では155億ドルの赤字が
出たものの第9次5ヵ年計画期の後半には
1億ドルの黒字に転じている。

第9次5ヵ年計画は1996年~2000年までで
この5ヵ年計画の中に組み込まれたのが
全長6キロの海滄大橋の建設であった。

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江沢民がアモイと海滄へ訪れたのは
1994年の事で当時、アモイ港へ
陸揚げされた貿易資材を海滄まで
運ぶには交通の便が悪く迂回するか
渡し船を利用するしかなかった。

アモイ島から対岸に見える海滄は
近くて遠いイメージがあったが
海滄大橋が完成して大きく変わった。

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海滄大橋は橋脚を利用しワイヤーで
吊り上げた橋であるがワイヤーの太さは
直径5.7センチでその中に5ミリほどの
太さのワイヤーが120本ほど詰まっている。

鋼鉄のワイヤーに30m間隔でワイヤーと
橋の欄干を吊り下げている。
車で走行したがとても吊り橋とは感じない。

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「アモイ市内の旅9」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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博物館の中には建設工事の写真が
たくさん掲示されていた。

興味深かったのは工事の作業員達が
描いた絵の佳作以上の作品が展示され
その絵を見ているだけでも感動を覚えた。

階上に上がりガラス張りのテラスから
港を眺めるとクレーンが並んでいた。

クレーンは陸揚げに使われているのだが
40フィートコンテナを船から陸揚げしていた。

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博物館のガラス張りのショーケースに
展示されている工作物を撮影した。

工事に使われたと思われるボルトや
ナット・ワッシャーなどを組み合わせた
ボルト人形が展示されており心惹かれた。

ボルトやナットをバラバラにすれば、
きっと何でもない金属の冷たさしか
感じられないだろう。

だが、このように同じ金属であっても
組み立てると妙に愛嬌があって
温か味さえ感じるから不思議である。

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「アモイ市内の旅10」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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昨日はアモイ海滄大橋の橋梁博物館に
午前11時頃に入り午後2時頃までいた。

博物館の人に昼食を取りたいが近くに
食事をする所がないものか聞いてみた。

だが近くには食事をするところはないとの
ことだったので、このまま帰ろうかと
思ったが別荘のレストランが浮かんだ。

橋梁博物館近くの別荘のレストランへ行き
ランチを食べさせて頂けないか交渉した。

だがコックさんが既に休憩に入っており
満足なものが出来ないと断られた。

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私から「ごはん」は有るか聞いたところ
ライスはたくさんあるとの事で、おかずは
残り物で良いからとお願いした。

ライスとビーフに野菜の炒めものと
スープを出して頂いたが、お金は
残り物だからと取らなかった。

何度もお金を手渡そうとしたが
残り物だからとお金は受け取って
下さらなかった。

写真はアモイ国際シーサイドホテルで、
アモイ最終日朝より市バスを乗り継ぎ訪れた。

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「アモイ市内の旅11」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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写真はアモイ国際シーサイドホテルである。
ここへ来るまでのバスの中でも昨日の
レストランでの事柄を思い浮かべていた。

別荘レストランが昼の休憩に入ったために
オーダーを断られたものの何でもよいからと
半ば無理やりお願いし食べさせてもらった。

満腹になり先ほどの無礼を許してもらおうと
謝罪をし勘定を払おうとしたが、結構ですと
受け取っては下さらないので店で売っている
土産物を買い丁寧にお辞儀をして外へ出た。

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来るときはバスを乗り継ぎ、挙句の果て
行く方向を間違えて乗車してしまい
予定より2時間弱遅れで博物館へ着いた。

帰りもバスを乗り継ぎ帰ろうと思っていたが
面倒になった私は帰りはタクシーにしようと
20分程待ったが、だがタクシーが全然来ない。
来たと思って手を挙げても人が乗っていた。

こんなふうならバスにすればよかったと後悔。
思い直しバス停へ向け歩き出したところへ
空のタクシーが虚しく通り過ぎて行った。

写真はアモイで貿易国際会議に使われたホテル。

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「アモイ市内の旅12」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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アモイ国際貿易会議ホテルの中へ入り
カメラを構えると、写真撮影は禁止ですと
ホテルの副支配人が手を横に振り現れた。

ロビーは撮影せず花だけ撮影させてほしいと
お願いしたが首を縦には振ってはもらえない。

折角中へ入ったので何とか撮影したく
3分間で撮影する事と撮影後画像を
見せる条件を提案して許可を取り付けた。

ロビーの配置やフロントの撮影はせずに
花の中で水仙とツツジ・胡蝶蘭を撮影した。

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花の名前は余り知らないが水仙と胡蝶蘭や
ツツジ位は知っていたので、その花の近くへ
行き露出優先にし構図を決め素早く撮影した。

撮影している間の短い時間、副支配人は
私の後ろにピッタリ着いて歩いてきた。

撮影を終え時計を見ると4分程経っていた。
私はモニターを見せるため手招きをした。

副支配人は案内係の女性に指図してあったのか
お茶を持って来させソファーに座るよう促した。

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私がモニターを見せると、見なくても結構と
お茶を一緒に飲みましょうと私に勧めた。

10分程会話をしたが、時折流暢でない日本語を
話してくれたりもし、握手を交わして外へ出た。

写真の水仙を「雪中花」と呼び、花言葉は
自己愛・自惚れ・うぬぼれ・神秘・プライド。

ツツジは細長いプランターに植えてあった。
花言葉は、愛の喜び・節制や情熱・初恋など。

胡蝶蘭の花言葉は「幸せが飛んでくる」とか
「あなたを愛しています」や「機敏な人」。

私は、胡蝶蘭を買った事はないので幾らするかは
知らないが高級な贈り物の印象がある。

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「アモイ市内の旅13」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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アモイインターナショナルシーサイドホテルを
出てホテル前の広場で凧上げをする家族に
出会い色々と言葉を交わす事ができた。

凧上げをしている最中に寝そべっていたご主人と
話しをしたが何とも中国風の愚痴が多かった。

ご主人は上海の人で、奥さんはアモイ地元の
人だったが、中々上海へは帰省出来ないとの事。

IT関係の仕事をしているとの事で普段の帰宅は
夜遅くになってしまうとも話してくれた。

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私は、ご主人を手招きした所、何ですかと笑顔で
来てくれたが、私は奥さんの視線が気になり、
ゴルフクラブを持ち素振りをしてみせた。

ご主人にゴルフをされるのですねと念を押した所
ハイと答えたので、ゴルフボールを出しアプローチの
練習を試合形式でしませんかと持ちかけた。

約50mと30mの所に凧を置き、その凧にボールを
近付けた方が勝つという遊びを提案した。

私は21歳からゴルフコースに出ており自信はあったが
この4年間というものクラブは触ってはいなかった。

だが、私がアプローチでは勝ったものの試合には
勝ってはいけなかった。奥さんや子供たちやご主人まで
不機嫌な思いをさせてしまい気まずい思いをした。

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「アモイ市内の旅14」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ市内」の写真を公開しています。

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アモイ国際会議ホテル前の広々とした
グラウンドを後にし少し歩くと海岸へ出た。

海から吹き付ける冷たい風を受けながら
海岸線に造られた遊歩道を歩いた。

幅10mほどある中央分離帯が続いており
その中を歩いていた所、ブロンズ像が
見えて来たので撮影を始めた。

更に報道カメラマンのブロンズ像達の
前方を見るとマラソン選手達のブロンズ像が
立っており、私は分離帯沿いに歩いて行った。

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マラソンランナー達のブロンズ像は1キロを
過ぎても延々と続いており、等身大の
ブロンズ像に魅せられ歩いて行った。

世界のマラソン大会の中でホノルルマラソンや
ニューヨークシティマラソンや東京国際マラソンなど
多くのマラソンが知られている。

だが参加者数は3万人前後であるのに対して
アモイ国際マラソンの参加者数は8万人と多い。

2011年は1月2日午前8時にスタートした。
昨年は7万人で今年は8万人だった。

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「アモイ市内の旅15」

「中国写真ライフ」では、
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アモイ国際マラソンのスタート地点は
アモイ国際会議展示場からでゴールもまた
アモイ国際会議展示場へ戻ってくる。

北京から参加した知名度の高いランナーも
アモイマラソンはかなりハードである、

記録も重要だが、それより海岸線を走り、
雰囲気を十分に堪能できることの方が
重要だと走りぬいた後コメントした。

私は日本にいる時も中国へ来てからも
マラソンはニュースでしか見なかった。

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だが、人工的に作られたとはいえ
中央分離帯に設置されたブロンズ像を
大自然の中で見ているだけで胸が躍った。

マラソン自体、42.195キロを走り抜ける
競技であり体力を消耗する前に相当の汗を流す。

特にアモイは南方に位置しているので
南国の風はランナーにとって辛い闘いになる。

大会に参加した中国の友人は記録なんて意識せず、
ただ完走する為だけに参加したが、もう少し気温が
低ければと話していたことを思い出す。

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「アモイ市内の旅16」

「中国写真ライフ」では、
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アモイ国際マラソンの歴史は新しい。
第1回の開催は2003年3月29日だった。

気温は21℃で真冬のマラソンに比べると
15℃も高く記録も期待できなかった。

だが南国春の花が咲き乱れる海岸通りを
走るランナーを応援する側に立ってみると
春に行われるマラソンは人気があった。

2003年から2007年までは3月末の土曜に
開催されていたが、2008年を境に1月の
第一土曜日に変更になった。

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アモイ国際マラソンの開催時期が3月末より
1月頭に変更になった事で参加ランナー数に
変化が生じ、8500人前後の参加数が3万人と
ホノルルマラソン級の参加人数になった。

更には年々参加数は増え続け2009年6万人
2010年7万人、2011年8万人になった。

また大会記録も年々塗り変えて来ている。
毎回8位以内に入るのはエチオピアやケニアの
招待選手達だが記録を伸ばして来ている。

男子では2時間08分07秒の大会新記録が出て
女子では2時間31分49秒のタイムでゴール。

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マラソンの世界記録はエチオピアのセラシェの
2時間03分59秒で未だ破られてはいない。

女子ではイギリスのラドクリフが出した記録の
2時間15分25秒だが2003年以降破られていない。

中国ではスポーツで優秀な成績を収めた生徒に対し
大学受験時に点数を加算する制度がある。

2011年1月2日に行われたアモイ国際マラソンで、
山東省の高校生による集団替え玉事件が発覚し
ネット上で不正を告発する書き込みが相次いだ。

替え玉事件は高校生30人以上がICチップを
足の速い選手に手渡し、自分の記録として登録。
だが不正行為で失効処分となり受験にも影響する。

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「アモイ市内の旅17(完)」

「中国写真ライフ」では、
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昨日は早めにアモイ繁華街へ着いた。
ホテルに寄りカメラバッグを置いた後、
中心街にあるいつもの居酒屋に向かった。

居酒屋で酒を飲む前にDVDショップへ行った。
そこで中国の連続テレビドラマを買った。

私の中国語学習方法の一つに中国のDVDを見て
会話を覚える方法を取っていたからだ。

中には四川省の方言で会話する場面などの
DVDに出会ったりすると面喰ったりする。

中国のDVDの場合、必ず中国語の字幕が入り
聞きなれない単語が出てくると字幕の単語から
辞書をタイプして意味を覚えることができる。

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私の買うDVDは会話の多い青春恋愛物語が多い。
戦闘シーンの多いDVDも時には購入するが
学習するというより娯楽のためである。

今までに購入したDVDは100枚を裕に超えている。
だが、日常会話に応用できる事柄は少ない。

今回の旅は12日間に及んだが帰る日になった。
アモイ空港にて厦門(アモイ)航空の飛行機を
撮影したが、私のチケットは中国南方航空である。

フライトまで待つ間、各航空会社の飛行機を眺め、
ぼんやりとしていたが、椅子に座り直し中国語の
単語の学習を続けた。

次の更新は「南京大虐殺」の有ったという南京の
市内の写真を公開したいと思う。

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